日本における68年問題を、現在の視点から再検討しようとする動きがここのところよく目につくが、それ自体はぼくの興味をひくものではないからどうでもいいとして、それでもたとえばつぎのような書評を読むと、なにかしらの連想が働いてくる。


http://book.asahi.com/review/TKY200903030079.html


 吉本隆明サルトルの類似というのはだれにでも容易に思いつくものではあるが、ぼくはそこに自分の興味もあって鮎川信夫の名をからめて考えてみたいのである。というのも、たしか鮎川は吉本との対談のなかで「サルトルは全部間違っていた」とはっきり言明していたはずで、その発言は見様によっては吉本へ照射しないともかぎらないからである。
 もっとも、鮎川のサルトル批判にはそれ相応の理由があって、乱暴に言ってしまえば、鮎川にはそもそもフランスの知識人にたいする全面的な否定がある。
 英文系とみられがちな鮎川だが、学生時分にはそれとは対照的にフランス系の文学青年であった。モダニスム詩人であったことはもちろん、若年にしてスタンダール論を書き、戦中に書かれた読書日記を読むと当時のかれの最大の愛読書がジャン・コクトー堀辰雄横光利一だったことがわかる。
 かれのフランスへの幻滅は、やはり戦争体験に由来するものなのだろう。フランスの知識人が、レジスタンス運動というありもしない神話を作り出しただけで、現実にはまったく無力であったこと、サルトルについても、支配階級であることを放棄し大衆の側につくことで、反ブルジョワ系知識人の最高峰に君臨することになったが、共産主義の幻影にそそのかされることで、大衆とともにソ連強制収容所の悪を看過したこと、鮎川はこの事実をたびたび指摘している。抽象的な議論を省略した、この簡単な指摘によって、鮎川の批判の根拠は明らかであるし、あるいは鮎川自身の思想的立場もおのずと明らかになるだろう。
 吉本と鮎川は最終的に思想的訣別をはたした。そのことについて書かれたものを、ぼくはあまり読んではいないのだが、それでも目にしたかぎりでは、鮎川=モダン、吉本=ポストモダンと図式的に解釈したうえで両者の齟齬を理解し、吉本側に優位を見るものが圧倒的に多かったようにおもう。もしかしたら、このような見方もこれからさき、おおきく修正されることになるかもしれない。



 Y、S、Kと四人揃って、半年ぶりの麻雀。前回はだいぶ勝たせてもらったが、今回はおおきく負けてしまった。といっても、今回も前回と同じく最下位はKである。おそらくKは勝負のかけひきが不得手なのだろう。むだに振り込むことが多いようにおもった。そのぶん、乗ったときにはだれにも止められないほどの爆発力を見せることになる。


 それにしても、体力の衰えがいちじるしい。十代のころなら、もっと長時間のゲームに耐えれたはずだが、いまでは眠気に襲われるのが早くなってきたし、腰もすぐに痛くなってくる。タバコも吸いすぎた。Yは禁煙パイポを持参してきていたが、意外と名案なのかもしれない。ぼくも禁煙とまではいわなくとも、本数を減らすように努力しよう。



 Sと話していたら、なんの拍子か花の話題になって、彼女が花の名前を詳しく知っていることに驚かされてしまった。彼女は珍しいタイプの性格をしている。