生年月日を確認してみると(なお死亡年月日は確かめられない)、どうやら今月でぼくが30 years oldになることにまちがいはなさそうだ。
 しかしながら、気分の上ではまったく実感がないし、じっさいいろんな面で10代のころより年々退化してきている。例はなんでもいいが、たとえば電話応対ひとつをとってみても、なぜ当時あんなにフルーエントにふるまえたのか、いまとなっては不思議でならない。現在のぼくは掃除の仕方もわからないし、時間通りに目を覚ますこともできない。靴紐を結ぶのでさえひどく難儀だ。
 高校をなしくずし的に卒業して(卒業式は出席できず校長室に閉じ込められていたが)以降、なんの区切りもない人生を送ってきたのが原因かもしれない。貯金もなければコネクションもない。野望もなんら持ち合わせていない。ニヒリズムとも縁を切ってしまった(ここ一二ヶ月のぼくは厳格なストア主義者である)。over 30となってはもはやロックンロールからも信頼されない。
 Tから(かれはぼくの1コ下である)「大台に乗った感想は?」と聞かれ(何の大台だかよくわからないが)、「はやく大人になりたいもんだね」とすかさず答えた。ユーモアのセンスも皆無である。こりゃ長生きするぜ。



 で、思い出すのが、これもすでに10年以上も前のことになるが、T駅のプラットホームで見知らぬオバサンに話しかけられたことだ。どんな外見だったかはもう覚えていない。そんな怪しげな格好はしていなかったはずだが、話す内容は一から十まで怪しげで、たぶん新興宗教の一種だろう、ようするに「あなたは血が汚れて」いて、不運を呼び込む体質だから「わたしに相談させてほしい」ということだった。ぼくが曖昧な表情を浮かべていると、調子に乗ったのか「このままではあなたは夭逝する」とかなんとか大げさなことをぬかしはじめるので、「悪人は長生きするというから、ぼくは大丈夫ですよ」と可能な限りの愛想をこめて答えると(いまのぼくならそもそも最初から相手にしない)、それをいっさい無視して勝手になにやら念仏を唱えはじめた。恐るべき事態だ。駅のプラットホームで見知らぬオバサンに念仏を唱えられたとき、どう対処してその場を切り抜けるべきか? マニュアルはない。ぼくはオバサンを放置してさっさと電車に乗り込んだ。そして間違えて幕張方面にむかってしまった。
 ぼくは深く反省した。オバサンの言っていたことは正しかったのかもしれない。というのも、オバサンに話しかけられたこと自体がまさしく不運にほかならなかったんだからね!



 「白鯨」を再読中。