吉本隆明の有名な一節「ぼくが真実を口にすると/ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって/ぼくは廢人であるそうだ」吉本は別の箇所では「廢人」と「詩人」を入れ替えているが、いずれにしろ、この「妄想」によっておのずとかれのよってたつ位置が表明されている。
 ぼくらはすでに吉本の仕事を知ったうえで、これらの言葉を読むことになる。そのため、ぼくらは吉本を「廢人」だとは思わないし、まただからこそ、この詩の一節を無下にすることはできないと考える。


 ところで、ほとんど全世界を凍らせるだろうものは、何も真実だけとはかぎらない。どうしようもない駄弁もまた全世界を凍らせてしまうだろう。
 もしも、君が何かを口にして、ほとんど全世界が凍りついたと君が感じたのなら、それは君が真実を口にしたからではなく、単に君のどうしようもなさに、全世界が沈黙をもって応じただけだと君は認めるべきだろう。



 読書が高尚であるのは、それが必要から遠い行為であるからで、またそこでの議論が日常から身を剥がした場所でなされているからでもある。
 ぼくはおよそ次の点でその著者を判断する。親米・反米の比率、反動主義の度合、文体の硬軟など。ぼくはこれらによって大体のひとは分類化されるものと思っている。



 夢を見た。係船がはげしく炎上していた。雨はぼくの頭上にだけ降ってくる。割れない卵を無理にも割った、これが円満具足のコロンブスか。