Tに夕飯をおごってもらう。Tはこの二日間で、三十万近くパチンコで大勝したために普段以上に気前がいい。その席上、食事そっちのけでメールしていたSが、急に見境もなく取り乱しはじめた。
 ひとが失恋する瞬間を偶然にもぼくやTはそろって目撃することになった。



 ぼくはどんな場面に際しても傍観者意識のつよい人間である。それは自我意識が分裂しているというよりも、たんに何事にも興味がないためだと思われる。そのせいなのか、ぼくにそのつもりは一切ないのに、不真面目に見られたり、無慈悲なように思われたりしたことが過去にも度々あった。
 で、そのつどぼくは疑問に思うことがある。ぼくが何者であるかの決定権をにぎっているのははたして誰か?



 岸辺につながれたぼくらの夏を
 息をひそめて降りはじめた驟雨をながめている
 たとえばひとりでに遠ざかる舳先の行方を見すえるようにして
 

 たがいに距てられた存在のあいだを
 わずかに重なる現象のかすかな光
 触れることで繋ぎ止める
 触れることでかえって解き放ってしまう
 この指先さえいつかまぎれてしまうだろう
 偶然に交わるたった一度だけの視線のように
 このにじむ水彩のパースペクティブのなかへ
 

 今日が昨日と同じ長さであったと
 だれがぼくに保証してくれるだろう
 ぼくの夢も希望もこのまま遠くおし流されてゆく
 それがありえたはずの“Nowhere”であると
 ぼくはいつ学習すべきだったのだろう


 水嵩の増したはやい川面に
 赤いリボンはたえず浮かんでは沈んでをくりかえしている
 風景は走り書きされた一通の手紙である
 終りに近い季節のひとよ
 ぼくはあなたにそれをささげる
 ぼくはあなたの余白のなかにあたたかな息吹をたしかにみとめる



 休日なのにおちおち休んでもいられないというのは、何とつらいことだろう。