昼すぎ、図書館とレンタルビデオ屋へ行き、返却と同時にまたあらたに借りてきた。夕方には靴屋へ行き、靴を買ってきた。夜には合コン。しかし、女の子がひとり病欠のため、三対二になってしまって、いまひとつ会話がふるわなかった。



 デヴィッド・リンチイレイザーヘッド」を観る。「消しゴム頭」とは人を食ったようなタイトルだが、実際に主人公の頭がもぎれて、消しゴムに加工される場面があるとなれば、人を食っているのは何もタイトルばかりだとはいえない。
 と、ここまで書いて、あらためてネットの辞書で確認すると「eraser head」は「消磁器」のことだと書いてある。
 ともあれ、本作はデヴィッド・リンチのデビュー作にあたり、難解もって知られるかれの、その後の作品群を解明するうえでも、かれの創作の原点がどこにあるのかを窺い知ることができる点で、おおいに興味を惹かれるものがある。
 およそストーリーと呼べるものはほとんどない。主人公と恋人のあいだに生まれた畸形児を軸に、さまざまな悪夢のような出来事が展開されてゆくばかりである。何かを物語るというよりも、ショックを積み重ねてゆくことで、心理的な効果を狙っていると言えなくもない。恋人の家族やアパートの向かいの女性、あるいは主人公の夢にあらわれる(?)舞台の女などの登場人物は、どれもみな容貌、行動がグロテスクに描写されていて、それがこの作品の異様な世界観をおのずと定着させる結果となっている。また、モノクロの光と影の演出が、恐怖感をあおりたてている点も見逃せない。全編に流れるノイジーなBGMも、観る者の神経を不快に刺激する。
 総体的にみると、あまり上出来な作品とはいえなかもしれないが、それでも忘れがたいシーンがいくつもあり、すでにカルト的な評価を受けているというのもうなずける。



 森茂起「トラウマの発見」、リオタール「現象学



 すれ違う、交差する。こういった運動にぼくが魅了されるのは、なぜだろう。その一瞬間があまりにまばゆく、光と影が捉えがたいリズムでダンスしているせいなのだろうか。