すっかり嫌気がさしてしまった。しかし、けっしてふてくされているわけではない。これまでだって、何事にものめりこみ過ぎないように注意してきたはずではなかったか。何によらず、徹底的なdetachmentで通すのが一番の得策である。



 ノーマン・マルコム「ウィトゲンシュタイン」、秋山さと子ユングの性格分析」



 Yが言うには、自分が興味を持っているのは伝統的な芸術であって、そういうのこそ本当に学びがいがあるように思う、とのことで、ぼくはつよくは賛成しないが、たしかに一理あるような気もした。
 そういった興味の根底には、おそらく、芸術とはある共通の目的のための共同作業であるという考えがあるのではないかと思う。そうであれば、いくらか穿ちすぎのようではあるが、その最終的な目標は個の抹殺ということにもなりうるだろう。
 しかし、これはあまりに一方的な見方であろう。というのも、われわれがおおくを負っている過去・現代の偉大な芸術家たちは、もっとも個性的であるがために、もっとも非個性的な人物でもあるのだから。そしてこういったロジックは、芸術を容易に神秘主義と通底させるものである。



 で、結局この時間帯になっても、まだイライラがなおらない。勝手にしやがれ