毎日仕事帰りには、夜空を見上げて天体をチェックすることを欠かさない。オリオン座からはじめて順次わかりやすいものから一つひとつ結んでゆく。星図の知識は、すでに何となくだが頭に入っていて、それを頼りに肉眼のみで観測する。言ってみれば、ふたつの意味でぼんやりした観測方法である。で、そのためばかりでなく、周囲の観測環境のせいもあるのだろうが、いまだに判然としないものがいくつもあって、もどかしさをおぼえることも少なくない。



 高村光太郎智恵子抄」、R・S・メンチン「奇妙な遺言100」、ショーペンハウエル「知性について」、茅野蕭々「リルケ詩抄」



 つねに、その一歩手前で立ち止まること。水のささやきに目を覚ますこと。あなたの頭には、午後の図書館の静けさがある。
 歩く。走る。立ち止まる。二十四時間喋りつづける。あなたはここからあそこへ、あそこからここへ、何度もくりかえしワープしてしまう。
 不確かな光に誘われて、あなたはあなたの巣から飛び立った。不機嫌な時間にまねかれて、あなたはあなたの鏡を失神させた。
 いま、あなたは高貴な戦慄に身を震わせて、みずからに告げる、この塑像的な一日をつかめ、と。



 Fさんの娘の晴着姿の写メを見せてもらった。それはFさんの家の室内で撮影されたもので、Fさんの娘とその友達ふたりが写っているのだが、ぼくはまず彼女らの背景にあるクマのぬいぐるみに目が行った。そしてそこから目を離すことができなかった。おそろしく可愛いのである。その可愛さは手前のふたりが邪魔に感じられるくらいで、しかし、ぼくの言う「可愛いですね」をFさんが誤解してうけとったことは間違いない。