あ、そうそうクリスマスだけれど、仕事のあとの予定はとくにないからね。ぼくを誘うなら、まだ間に合うよ。ただし、きみが可愛くてノリのいい娘であればの話だけれどね。まあ、考えておくよ。



 しずかな朝であった。何年も手違いで届かなかった手紙が思いがけず届けられてきそうな、とてもうつくしい朝であった。
 もう帰らない部屋の窓辺に、からの鳥かごが揺れている。つめたい陽射しがためらいがちに射し込んで。ぼくの小鳥はいま、どんな空の下を飛んでいるのだろう。
 目をこらしても、すでに港は波間に隠れて見ることができない。名前も知らないひとびとにまぎれて、ぼくもまた額のうえに手をかざしている。孤独、それは学ばなくてはならない。さよならのかわりにぼくは何を捧げよう、ぼくのものでない街の風景に。
 いつかぼくのかなしみは過ぎ去るだろう。いつまでもぼくのかなしみはとどまるだろう。凪いだ水平線の向こうでは、日付けのない「時」のかなしみが、ぼくの到着を一心に待ちわびているのだろうか。
 メランコリーに向かって、「なぜ?」と問いかけることはもうやめよう。答えは誰かが見つけてくれる。ある日ある朝、あらゆる抒情は風を孕んだ翼となって、あらゆる視線をふいに掠め通るだろう。
 誰もいない部屋の窓辺で、からの鳥かごが揺れている。小さな羽ばたきに揺れている。ぼくの小鳥はどこへ行ったか。



 サンタの衣装を着た女の子は可愛さが増して見える気がする。赤が基調のせいだろうか。
 ところで、Y市には街灯が青い地域がある。話によると、あれは性犯罪予防のためであるらしい。ということは、青い光はひとの性欲を抑圧させるということなのだろう。



 図書館から借りたモーリス・ブランショ「アミダナブ」は結局読みきることができなかった。新訳が出ているならば、新たにそっちを買ってもいいかもしれない。そのほかに借りた本は、だいたい目を通すことが出来た。なかでも飯島正「映画のなかの文学 文学のなかの映画」に興味をおぼえた。