人間関係の場面において、そこで演じられるすべての動作は暗示である。したがって、理解することと誤解することのあいだに見分けはつかない。ぼくたちが最終的な判断を延期させようとする傾向を持つのはこのためである。そして、じつはこのことによってぼくたちは心理的な健康を保持できるのだ。なぜなら、「決定の瞬間は一つの狂気である」(キルケゴール)のだから。



 この二日間でたくさん本を読んだ。


 ・木田元「なにもかも小林秀雄に教わった」
 内容は著者の修学期における思想的来歴の紹介であって、題名からは大分逸脱している。それにしても著者のようなアカデミックなひとでさえ小林秀雄からはじまったのであるから、その影響力は当時相当のものがあったと予想される。もっとも、あくまで話は「修学期」に限定されているし、ひとくちに影響といっても色々な段階があるわけだから、実際にはそれほどのものでなかったのかもしれない。
 ・中河与一「天の夕顔」
 永井荷風カミュも絶賛した浪漫主義文学の名作とのことだが、さっぱり面白くなかった。全篇が告白体のせいか、ストーリーが観念的で一向に現実味が感じられなかった。山中での生活は多少仔細に語られるのに、女が男に惹かれることになった馴れ初めや、男の結婚生活とその破綻などには簡単に触れられるだけなのが、なにか小説として不完全なように思った。つまり、語り口が自分勝手なのである。あるいは、浪漫主義文学とは元来こういうものなのかもしれない。主人公たちはたがいに崇高な恋愛感情を抱きあっているのかもしれないが、シラけた目から見れば、その精神生活はずいぶんと呑気なものである。保田與重郎の解説もイデオロギー臭が強い。
 ・ユイスマンス「彼方」
 これはとても面白かったので、またあらためて。
 ・「ポオ小説全集1〜4」「文芸読本ポー」
 ポーはやはり小説が一番面白いと思った。なかでも「群集の人」は何度読んでも、格別の読後感である。ぼくのように小説を時間潰しにしか考えていない人間にとって、こういった例は非常に稀である。おそらく、こういった偏愛には、ぼくもまた「群集の人」であることが大いに関係しているのだろう。
 だが、あらためてこの小説を読み直してみると、いくらか違和感を覚えないこともない。
 この小説は「ただ一人あることに堪えないという、この大いなる不幸(ラ・ブリュイエル)」というエピグラフから、世の中には「言葉をもってしては、ついに語ることをゆるさぬ秘密というものが」あり、したがって「罪というべき罪の真核は、ついに露われることがないのである」という一般的な考察から始まり、最終的には、群集のあいだをさまようnomadである老人について、「人間最悪の心」と断定するところで終わる。これがボードレールの病的な精神に群集を発見させる契機になったことは間違いないが、ぼくが群集によせる親近感は、ポーやボードレールの群集観とはだいぶ異なる。たしかにそこには退廃した虚無的な気分もないことはないが、もっとポジティブで健全な躍動感の方が強く含まれているのである。群集のなかで出会うのはまったくの未知のひとであり、だからこそかえってその心の奥底を無遠慮に覗きこむことができるし、逆の立場から言えば、その分自意識が過敏にもなるのである。こういった不安と好奇心の入り混じった感情を楽しむ習慣を身につけることが、はたして不道徳になるのだろうか?
 「群集の人」は一種の探偵小説だが、唯一そこには肝心の事件だけが欠けている。また、主人公が通行人の外見から職業、素性、性格などを分析する箇所があるが、そこを読むかぎり、この主人公の推理能力には疑問を持たざるをえない。もっとも、そう断定するには当時のロンドンの風俗についての知識が必要であるし、言うまでもなくぼくにはそんな学識はないのだが。ただ、見方を変えれば、ここでのポーの描写は、通行人たちの差異と断絶を強調することで背景を戯画調にし、物語全体を幻想的に演出する効果をあげているとも言える。
 群集を楽しむには夜である。ポーも主人公に「夜の更けるにつれて、この光景に対する私の興味はいよいよ深まった」と言わせている。そしてつづいてその原因を、群集そのものの性格の変化と、ガス灯が投げかける「ぎらぎらする影」に求めている(ただし、小説では老人はまる一日中彷徨しているし、主人公もそれを延々と尾行しているが)。ガス灯の発明と群集の登場を関連づけた都市の社会学はいくらでもあるだろうが、人工的な光の束が作り出すあの魅力的な舞台効果については、何万語を費やしたとしてもけっして到達することはできない。



 朝、目が覚めて、S君はあまりの足の痛さに身動きすることもできなかった。親に病院まで連れて行ってもらって、痛風であることが判明した。とりあえずは安静第一とのこと。


 で、その話を聞いて、ぼくらはみな一様に反応に困ってしまった。



 水曜日の夜にYとKと飲みに行ったことは覚えているが、ある瞬間から記憶がまったくなくなっている。おそらく日本酒のせいである。おかげで靴をなくしてしまった。


 暗闇の底から、
 しずかに風が吹いてきた。
 ぼくはぺイヴメントにうずくまる。
 ぼくの目の前を、たしかに誰かが
 立ち去った気配がするのに、どうしてもぼくは
 その後姿を探し当てることができない。
 それはかなしいことなのだろうか。
 かなしみは流れ、歳月は肉体にのこる。
 それはかなしいことなのだろうか。
 どうしてぼくは魂の存在を信じられないのだろうか。
 ぼくは昨日の欲求不満を思い、
 明日の与えられた時間割を考え、
 思いがけず陽気な気分になると、下水溝にむかって一心に吐いた。
 ゆりかごへ戻ることも、
 墓場へたどり着くこともできずに、
 迷子になったぼくは、もう一度ペイヴメントにうずくまる。
 暗闇の底から、
 しずかに風が吹いてきた。
 いそげ、いそげ、このままここで眠りにつくには、
 夜はあまりに寒すぎる。