台風の襲撃の前に、雨にも降られず無事に家までたどり着いた。
 今夜は台風と選挙の話でくたびれてしまった。とくに選挙の話は、みんな政治について通りいっぺんの知識しか持ち合わせていないので、知っているひとから見れば、その底の浅さは呆れかえるに充分なほどであっただろう。むろんこういったことは話のツマにすぎないのであるから、別にその程度で充分といえば充分なのだが。「あくまで他人事」といった雰囲気があったように思う。みんな無関心でいられるだけの環境に住んでいるのである。
 ぼくは政争の論点についてまったくの無知であったので、ただ生返事をくり返すばかりであった。なんでも高速道路が無料になるらしい。となれば、今後、「高速」道路はまぎれもない詐称ということになるのだろう。ペーパー・ドライバーのぼくには、どうにも解せない話である。
 古株や重鎮と呼ばれる人たちが次々と若手候補に敗北してゆくさまには痛快さと共になにやら不気味なものも感じる。「フレッシュな人材」というのは、言い方を変えれば未経験者ということだ。あるいは、ここまで大差がついたのだから、そういった不安は世間的にはすでに克服されているということなのかもしれない。
 ぼくに判官贔屓の趣味はなく、何事も「ボロ勝ち」と「ボロ負け」のいずれかであることが、ぼくの性格にはもっとも合う。スポーツでも接戦よりも一方的な試合の方が観ていて面白い。そうであれば、今回の選挙も見様によっては面白いショウであったのだろう(選挙はショウではないといった、あまりに正論すぎる正論は措いておくとして)。いずれにしろ、これでぼくらは何のためらいもなく自民終焉を確信することができる。
 Oが言うには「この結果を見て、民主に投票した人の方がかえってあせっているんじゃないのか」とのことである。Oは投票に行かなかったらしい。



 ぼくも投票には行かなかった。行かなかった理由はいくつかある。そしてそれはどれもみな消極的な理由である。



 そもそも「〜しなかった」理由をどんなに積み重ねても、結局それは偶然と呼ぶしかないものである。「〜した」と言うとき、あるいは「〜しなかった」と言うとき、それはもう一方の選択肢の排除を意味しているのではない。つまり可能性と現実は互いに排斥しあうものではないのである。



 ピーナッツを食べる。クルミを食べる。マカダミアナッツを食べる。ピスタチオを食べる。行頭に戻る。
 鼻血が出ても知らないぞ。