ここ最近、カロリーゼロを前面にうちだしている商品をよく見かける。とくに飲料などでは本当によく目につく。
 実際はどうだか知らないが、ぼくはカロリーゼロの方がかえって健康によくないように思えてしまう。どうしてもそこに人工的なイメージがまつわりついてしまい、そういった不自然さはけっきょく身体に悪い影響を与える、と、なぜか何の根拠もなくそう考えてしまうのだ。
 それにしてもカロリーゼロが商品のセールスコピーになるだなんて、あらためて現代が飽食の時代であることを思い知らされる。



 しかしそういうぼくにしたって、食べ物なんて喉を通れば何でもいいというわけではない。逆に、どちらかといえばブランド志向の強い方ではないかと思う。
 たとえばコーラとかコーヒーとかカップ麺とか、いかにも量販店で取り扱っていそうな、安いことはたしかだが、それと同じたしかさで怪しい、ああいったものをみずから買う気にはとてもなれそうにないのである。
 「お米に金を惜しむべきではない」とSさんが語っていたのを思い出す。つまり、何をどのように倹約するにせよ、そこのランクだけは下げてはならない、そういった固守すべき生活の最低限の領域というものがあるという話だ。



 試験は課題図書のなかから多く出題されたらしい。Kさんはかなり手応えがあったようだ。何でももともと自己流の読書術を身につけていることで、内容をインプットすることが得意であるらしい。
 一方、漫然と字面を追ってばかりいる、ぼくのような読書法は、健忘症をうながすことはあっても、そのほかに利点はなさそうである。