休日を利用してポートタワーに行った。ひらけた展望はたしかに壮観だけれど、そこまで気分の盛り上がるものではなかった。昼間にのぼったせいかもしれない。夜景であればまた違うニュアンスがあるのだろう。Aが言うには「やはり東京タワーにはかなわない」とのこと。雲がうすくたなびいて、その隙間からオレンジを握りつぶしたような陽光があたり一面に降り注いだ。
 そのあと海辺を少し歩いた。遠目ではひどく水が濁っているように見えたが、それはどうやら海藻のせいであったようだ。近づいて見ると、その量の多さに海水が真緑になっている。海藻は波打ち際に沿って山のようにもなっていて、見た目にもあまりいいものではなかった。
 岸壁から見下ろすと、くらげや蟹が海中をただよっている姿が観察された。さざ波をじっと見つめていると、その光の織りなす複雑な模様の変化に知らずのうちに幻惑される。そして突拍子もないことが次から次へと自然と頭に浮かんでくるのだ。海辺の光景は、たやすくひとを哲学者にしてしまう――もしも周囲に水着姿の美女がいなければ、の話だが。
 わずかの時間とはいえ、いろんな景物を目に焼きつけ、さまざまな想念をぼくは頭のなかに定着させてきた。しかしいまとなってはそれらのどれひとつ正確には思い出せない。今日はめずらしく活動的な一日だったのに。どこかで集中力が切れてしまったのだろうか。これが水着姿の美女であれば、おそらくはありありとその姿を思い浮かべることができるのに。



 消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎるのを、今日だけで三度も目撃した。おかげて充分ドップラー効果を堪能した、といいたいところだが、消防車は救急車と違い、変な鐘の音が混じっていてやかましく、そのせいかどうかは知らないが、ドップラー効果もヘチマもない。



 で、夜には雨。昨日以上のすさまじさ。雷も鳴った。そのときぼくらは車内にいたのだが、うちつける雨に車のボディーが凹んでいてもおかしくないと思わせるほど、ひどくおおげさな雨音がぼくらの耳にも聞こえてきた。こうなってしまえば、さすがに今日はもう消防車には出会わないだろう。



 一般に「道徳」や「倫理」と名のつくものであっても、それがなにかしらの欠如の自覚から促されるものであるかぎり、ぼくはそれを受け入れない。ぼくはそういった被虐的な心理には、ことごとくつまづいてしまうのだ。むろん、これはぼくの不道徳や非倫理を証明するものではない。



 いわゆる海洋文学というものへのあらたな興味。コンラッドのエッセイ集がとても面白かった記憶がある。