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やりたいこと、やるべきこと、それが結果としてうまくいくかいかないかは別として、何でもかんでも物事を先延ばしにすることは極力避けるべきだ。それが主体的なアクションをともなうかぎり、選択として、いくらでも先延ばしにすることもできる。たいせつなのは、その動機を継続的に深化させてゆくことである。十年前、ぼくは死ぬにははやすぎた。今日、ぼくは死ぬにははやすぎる。十年後、ぼくは死ぬにははやいだろう。
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ぼくはひとの寝顔を見るのが恐ろしい。いつからそうなのかはわからない。が、どうしてそうなのかはおおよそのところ理解できる。おそらく、無意識のうちにぼくはそこからそのひとのデスマスクを想起してしまうのだ。眠りが深そうであればあるほど、いよいよその印象は強くなる。電車に乗っていると、ちょうど向かいの席で乗客が寝ているときがある。ぼくの目は恐る恐るそれを確かめ、やはり人間はけっきょくただの袋にすぎないのではないかと考える。
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めざめるたび、ぼくはあなたの港にかえってゆく
ときにはあなたの小鳥の巣のなかで間違って孵化してしまうこともあった
めざめるたび、ぼくはふたたびかえってゆく
まぶしく裂けた眉のあいだに、うしなった海の感覚を、
無声の夜の瞬きを、装填する風景のラインへ
そこにあなたはいないのに
めざめるたび、ぼくはあなたの港にかえってゆく
それがなぜなのか、ぼくにはわからない
おおくのIfに囲まれて、ぼくたちは生きている
この表現のうちに、今日のぼくたちの答えがある、と
それさえも、ぼくにはわからない
あなたの曳航船にぼくのプロペラが繋がれる
おおくのIfに囲まれて、ぼくはぼくの声を育てた
ときにはあなたの小鳥の巣のなかで間違って孵化してしまうこともあった
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毎月、給料日が近づいてくる頃には、購買リストにある品目がかなりの量までたまってくる。それをそのまま適用すると、毎月の赤字は確実であって、給料日の数日前には、そのリストを厳選しておく必要がある。