勢いあまって「魂のジュリエッタ」を二回も観てしまった。


 調度品の配置が悪いためか、部屋で一番くつろげる体勢のときには、テレビの画面が少し見えづらいところにある。そのためテレビを観るときはすこし窮屈な姿勢をとらなければならない。これがたとえば映画のように二時間半とかそのままの姿勢でいなければならなくなると、さすがに観終わったあとには疲労感がでてくる。しかし、部屋の模様替えをするとなると、それもまた大変な作業なので、とりあえずは我慢するしかないだろう。



 田村隆一「若い荒地」、永井荷風「夢の女」、河合隼雄ユング心理学入門」の三冊を併読している。われながら雑然とした読書生活である。田村や荷風はあまりに文章の調子がよすぎるためか、きりあげどきが難しい。



 TとSの三人で飲みに行った。どうもぼくは二人からプレイボーイだと思われているようである。ぼくはTのことをプレイボーイだと思っていたが、本人はつよく否定する。体験人数が七人だけだという事実が、その証拠になるのだという。本当かしら? もっと別の視点からも調べることができないだろうか? しかし、本人は自説を曲げない。七人の女性しか知らないのだから、自分はけっしてプレイボーイではない。では、ぼくは? ぼくは正確に数えたことがないので、即答しかねる……
 しかし、そのような収穫高など、本来的には何の問題でもない。たとえ何千人の女性がいようとも、ひとりの女性がいなければ、そのひとの恋愛生活は希薄なものにしかならないだろう。それこそ、永井荷風がいい例ではないか。そこにはおそらく何らかのかたちでエゴの問題がひそんでいるにちがいない。いまさらながら確認しておくと、荷風はまぎれもないエゴイストのひとりである。そして、かれの彼岸の女性は、かれの小説のなかにいまだその存在をとどめている。



 いまからコンビニまでタバコを買いに行かなくてはならない。面倒くさい。