ベニショウガは、なにを基準にしてあの容量で販売しているのだろう。非常に使いにくい。もっと少量サイズがあってもよさそうなものなのに。



 どんな弔いの鐘が、かれら家畜のように死ぬ者たちのためにある?
 ただ、砲火の化け物じみた怒りがあるだけだ。
 ただ、吃る機関銃のガタガタ音が、
 早口にその手短な祈りを吐き出すだけだ。
 もうかれらをごまかすのはやめてくれ。祈りや鐘もいらない。



 もうこれからは、日に日に寒くなる一方である。読書、食欲、スポーツの秋は、かつてぼくに訪れたことがない。いま、唇はためらっている。遅い黄昏に鎧戸を下ろして。



 フィリピン人であるJの話によると、フィリピンでは英語が公用語であるらしい。もちろん、フィリピンがかつてどこの植民地であったのか、ぼくにはわからない。学業を怠っていたせいである。それはともかく、早速Poe「A Dream Within A Dream」にある「the less gone」について説明を求めると、これがまったく要領を得ない。彼女がそれほど日本語に通じていないせいもあるかもしれないが、ひどくガッカリさせられてしまった。



 あまり親しくないひとから夕飯によばれたときの、あの心の重さを、その他の日常のわずらわしさと比較すること。YesかNoか、どちらにしたって、億劫なことに変わりはない。