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風邪が治ったと思ったら、今度は恋がひとつ終わってしまった。
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何人も死を直接経験することはできない。ぼくらはどうしてもその決定的瞬間をとり逃してしまう。結局、ぼくらは間接的に死が何であるかを観察することができるだけである。マルセル・デュシャンの墓碑銘「されど、死ぬのはいつも他人」はこのあいだの事情をよく物語っている。
「死ぬはいつも他人」である以上、「自分の死」はあくまで観念の産物に過ぎないわけだ。しかし、地球上で観念に支配されるのは唯一人間だけなのであるから、「自分の死」への考察は、とりもなおさず人間らしくあるための有効な手段のひとつである。
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ぼくはいま目ざめている。
光の束は、その通路の周囲に
細かい粒子をまきちらしつつ、
暗い室内に、カーテンの隙間を通じて、
いくつもの直線のラインを、
ひややかな速度で射し込んでいる。
ベッドの上に仰向いたまま、
片手をさしあげて、そのひとつを
てのひらにうけとめてみる――
歳月は、他人のアリバイ探しに熱中しすぎて、
ついに自分のアリバイを証明できない
不注意な私立探偵のように、
ぼくはまたこうして一日を無駄にしてしまった。
それでも、ぼくは動かない。
危うげな均衡の静けさのなかで、
この光線の不思議な明るさが、
朝を招くのか、夜をみちびくのか、
それを確認しようとしている。
その移り変わる一瞬を、てのひらにうけとめようとしている。
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恋が終われば、また新たな恋が始まるだろう。たとえインスタントなセックスライフにきみが満足できないとしても。